アルバム香川創作歌謡研究会を支えてくださった作詞家のみなさん
舞踊家<振付>のみなさん
想い出のステ−ジ
香川県明治百年記念式典
昭和43年「香川県明治百年記念式典」 基本プランと作編曲指揮・大川かづゆき/構成と演出・南四郎/音響・NHK高松放送局/出演・高松放送劇団/美術デザイン・和田邦坊 |
演奏/高松交響楽団・レインボ−オ−ケストラ/高松市吹奏楽団/100人編成混声合唱団<合唱指導・鈴木正/照明・東京舞台照明/舞台装置・総合企画 |
EP盤・CD・カセットなど出版のグラフイックデザイン集から
*レコ−ド会社発売レコ−ド以外の、地元制作発表レコ−ドやカセットテ−プ・CD等ののジャケットデザインは、県庁勤務でPRや、媒体制作にかかわることの多かった私にとって、曲創りと同様のやりがい・生きがいのある作業でありました。
<レコ−ド会社発売・EPレコ−ド盤ジャケット>
「踊り曲」は当時、主として民踊団体を中心に 踊りの普及とあいまって販売された。
さぬき囃子<ビクタ−> 一合まいたは採譜監修 |
さぬき囃子・たぬきおどり <東芝> |
瀬戸大橋音頭/塩飽おどり <ビクタ−> |
源平ながし唄<ビクタ−> | さぬきうどん音頭 <クラウン> |
哀愁の高松港/高松の夜 <ビクタ−> |
<香川県制作・EPレコ−ド盤ジャケット> すべて県の買い取り盤で、「明治青年さのさ節」は老人福祉に、「歌声高く」には「こどもにこにこ音頭」「信号赤なら」「風と緑と太陽と」等の曲が収録されていて、「心の杖を」ともども青少年健全育成や交通安全の啓発活動に活用されるよう関係機関や団体に配布された。この外、県制作曲には県民歌・省資源・農業生活改善・観光啓発などのレコ−ドやソノシ−トがある。
<グラフイックデザインは大川かづゆき>
心の杖を/香川にこにこ音頭 | 歌声高く/こどもにこにこ音頭 | 明治青年さのさ節 |
<町制作・EPレコ−ド盤ジャケット> 目下、町合併の話し合いが進行中です。市や広域の町になっても、コミニテイ−の踊り曲として継承されて欲しいものです。また歌詞には、制作当時の町の姿や住民の願望・歴史民俗が唄い込まれています。「ふるさとの祭り」とともに、後世に伝えて欲しいと願っています。<別掲の「作品名鑑」参照>
<グラフイックデザインと筆字は大川かづゆき。昭和音頭のイラストは竹内守善氏の切り絵>
綾南町 | 綾南町昭和 | 国分寺町 |
志度町 | 三木町 | 三野町 |
<四国民踊研究会企画制作・EPレコ−ド盤ジャケッツト>から
大川かづゆき作品の大半を占める新民踊は、県市町からの依頼作品の外、四国民踊研究会<島田雅行企画・振付>の依頼曲が多く、この場合踊り振付のイメ−ジやリズムが既に出来ているものがあり、、作詞はそれに準じて創られることになる。作詞・作曲・振付・相互のキャッチボ−ルで制作される「香川創作歌謡研究会」の歌創りの特徴がここにあります。B面には既存の曲を入れて、踊り団体に再アピ−ルさせて頂くことが多かった。
<グラフイックデザインとイラスト・筆字は大川かづゆき・切り絵は竹内守善氏>
空海いろは音頭 | 菊池寛音頭 | 塩飽おどり |
讃岐ふるさと音頭 | 源平ながし | 桃太郎ばやし |
<自主制作・EPレコ−ド盤ジャケット> 制作者の買い取り盤の中から・・・
<グラフイックデザインと筆字は大川かづゆき>
香川創作歌謡研究会制作 | 歌手制作 | 作詞者<写真の人>制作 |
歌手制作 | 歌手制作 | 香川創作歌謡研究会制作 |
<カセットテ−プ・ジャケット>から
EP・LPレコ−ドからCDに移行をはじめてから、「カセットテ−プ」による出版が普通になった。特に民踊関係者は、頑固にCDに馴染めなかったようです。またカラオケ流行を反映してか、歌謡曲・特に演歌は、カセット出版が主流になった。
<グラフイックデザインと筆字は大川かづゆき>
四国民踊研究会出版 | 香川創作歌謡研究会出版 | 国分寺町出版 |
四国民踊研究会出版 | 香川創作歌謡研究会出版 | 市原吉博・自費出版 |
<シングルCD・ジャケット>から
<グラフイックデザインと筆字は大川かづゆき> ただし「望郷峠」はビクタ−制作
フアニ−レコ−ド制作 | フアニ−レコ−ド制作 | 山本町制作 | ビクタ−レコ−ド制作 |
音楽評論家・岡田 寛氏と私
左写真は昭和61年4月11日高松市オリ−ブホ−ルにて小沢泰とキンテ−ト・コリエンテスのタンゴコンサ−トにて大川かづゆき作曲「雨の高松」を演奏/解説の岡田寛氏とト−クの私
右写真は昭和62年5月5日志度音楽ホ−ルにて「タンゴ、フエスタ」タンゴ・クリスタルの演奏会2部で「大川かづゆきタンゴでふるさとを唄う」/解説の岡田寛氏とト−クの私
香川創作歌謡研究会・大川スタジオOSO
録音・編集機器の変遷
演奏録音はずっと放送局のスタジオを利用していたので、プリント編集のみの機器で事足りていた。昭和50年頃から放送局ミキサ−のアドバイスを頂いて所謂「ステレオごっこ」が始まり、昭和60年頃からMTRによる多重録音制作にはいる。<アナログ機器> それから機器の性能向上に伴い、なけなしの小遣いが「取っ替えごっこ」のために消えていったものでした。平成5年ごろになってわが家のスタジオも、ようやく「デジタル録音機」の時代にはいりました。いい歳をして、16チャンネルの録音ごっこや、自作楽曲のCD−R制作などに意欲を燃やして?いる毎日です。今になって振りかえると「随分晩稲<おくて>でした」
昭和54年 | 平成3年 |
平成8年 | 平成10年 |
平成12年 | 平成15年 |
大川かづゆき<75才当時> | メイン録音機「MTR」 16チャンネルデジタル多重録音仕様 |